具志堅用高の最恐伝説!防衛後もアルバイトを続けた理由に感動!!

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ボクシング リング

元WBA世界ジュニアフライ級王者の具志堅用高さん、今や数々のバラエティー番組に引っ張りだこですが、当時の最恐伝説や感動エピソードについて書いていきたいと思います。

数々の伝説がある日本最恐のボクサーは実は早く引退したかった!?

ボクシング リング
具志堅さんは1974年にプロデビュー、カンムリワシのニックネームで誰もが恐れるボクサーだったそうです。
破壊力が抜群のストレートで相手をマットに沈めるKO劇や闘争心あふれる姿に観客は大興奮していたそうです。
そんな観客の声援があまりにもすご過ぎてレフェリーがゴングに気づかなかったこともあるほど。

プロボクサーになって9戦目で絶対王者だったグスマンと対戦し見事KO勝利、世界王者座を奪取しました。
当時の国内最短記録だったそうです。
今の具志堅さんからは想像も出来ないほどですよね。
そんな最恐の具志堅さんも、6回7回と防衛を重ねていくうちにハングリー精神は薄れていったそうです。
人気があって女性にもモテる、ファイトマネーは増えていくとなると満足してしまってもおかしくないですよね。
当時のライトフライ級の防衛記録が11回だったため、12度目の防衛戦を成功させ記録を更新してから引退すると公言していたそうですが、そこは大人の事情、次から次へと防衛戦の予定が組まれていったとか。
なんとか準備をして試合をこなしていく具志堅さんですが、このころから疲労も抜けにくくなっていたうえに気力がついていかなかったそうです。
結局13度目の防衛に成功し、14度目で初黒星。
タイトルを失ったことはすごくショックだったそうですが、知名度やお金などボクサーとしてはすべて手に入れていたため『あと1試合だけやってくれ』とジムとテレビ局に何度も説得されたそうですがきっぱりと断ったそうです。
そのままずるずるやらされるのも嫌だったそうです。
そんな具志堅さんが世界タイトルを取った後でもアルバイトをしていたのはご存知でしょうか?

5回防衛までとんかつ屋でアルバイトをしていた!!

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沖縄から東京に出てきてプロボクサーになった具志堅さんですが、ずっと東京に慣れることが出来なかったらしく、その時に出会ったのがとんかつ屋のマスターだそうです。
その出会いがあったからこそボクシングを続けるけることが出来たとのこと。
マスターとの出会いがなければ沖縄に帰っていたと。
その後チャンピオンになった具志堅さんですが、マスターのことを思うとどうしてもとんかつ屋を辞めることが出来なかったそうです。
結局5度目の防衛までとんかつ屋でバイトをしていたそうですが、当時(1978年)の所得番付のプロスポーツ部門で2位にランクイン、ボクサーで日本初の年間1億円以上を稼いでいたそうです。
義理堅いというか、やはり具志堅さんはそれだけとんかつ屋のマスターに恩義を感じていたんでしょうね。
初めての土地で一人生活していく不安の中で支えてくれた存在は大きかったと思います。

13度の防衛に加えて、6連続KO防衛の記録も保持している具志堅さんですが、自身の記録を更新する選手の登場を心待ちにしているそうです。
バラエティーでも大人気の具志堅さんの活躍をこれからも期待したいと思います。

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