アンミカの極貧時代がすごすぎる!モデルのきっかけとセレブ婚まで

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アンミカ 四畳半

幸せ!ボンビーガールアンミカさんの壮絶な極貧生活が紹介されていました。
モデルになるきっかけや下積み時代などセレブ婚までのシンデレラストーリーを紹介していきたいと思います。

四畳半に7人の極貧生活!

アンミカ 四畳半

アンミカさんは大阪市生野区出身の韓国人だそうです。
当時は父親が務めていた雪駄工場の倉庫に空いた一部屋をタダで間借りし、両親と兄弟の7人で暮らしていたそうです。
主食は小麦粉を水で練ってお汁に入れただけのすいとん。ほぼ毎日これを食べていたとのこと。
週に2回は母親と兄弟で深夜3時の青果市場へ行き、傷んで売り物にならない果物をもらっていて、それが唯一のおやつだったとか。
中学生の頃は新聞配達、高校生になったときは更にパン屋さんでもアルバイトをして生活を助けていたそうです。
中高生の頃は欲しいものもたくさんあったと思いますが、親孝行な女の子だったんですね。
ちなみに全国で新聞配達のアルバイトをしている中学生は586人もいるそうです。

そんなアンミカさんがモデルになったきっかけはなんだったのでしょうか。

事務所に直談判でモデルに?奇跡の出会いって?

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アンミカさんがモデルになりたいと思ったのはずっと憧れていたある人物がきっかけだったそうです。
その方は1970年代に活躍した山口小夜子さんという伝説のモデルで、アジア系モデルで初めてパリコレに出演しヨーロッパで大人気だったそうです。
モデルになりたい一心のアンミカさんは、中学卒業前にモデル事務所20社に写真を送ったそうですが全部不合格だったそうです。
そこで大阪の大手モデル事務所に直接電話をし、私は写真写りが悪いだけで素材はいいんです!!会わないと絶対損しますよ!!と猛アピール、その熱意が伝わってその事務所に入ることが出来たそうです。
ものすごく行動力があるパワフルな方ですね。

でも、憧れのモデル生活とは程遠く、専門学校のデッサンモデルや通販サイトのサイズチェックをするトルソーモデルなどで6年。
そんな生活から激変するのはある人物との出会いだそうです。
ある日友人に誘われて行ったファッションショーの会場であるカメラマンに写真を撮らせてくださいと頼まれ、翌日呼ばれたスタジオで写真を撮ったそうなんですね。
その写真がイギリスのファッションカルチャー誌『THE FACE』の表紙に載ったそうです。
実はそのカメラマンがコムデギャルソンやプラダの広告を手掛けるノーバルト・ショルナーという超大物カメラマンだったとか。
そんな超大物に声を掛けられるなんて本当にすごいと思います。
そのことがきっかけで数々の世界的企業の広告モデルに採用され大ブレイクし、パリコレに出演するという夢を果たすことが出来たんですね。
以前ある番組でお付き合いした韓国人の方が実は元スパイだったというびっくりするような話をされてましたが、今はアメリカ人のイベント会社社長とセレブ婚まで果たし、都内超一等地にある5LDKでおよそ1億円の超高級マンションに住むまでになるなんて、まさしくシンデレラストーリーですよね。

いつもニコニコされていて人柄の良さがうかがえるアンミカさん。世の女性が憧れるプロポーションの持ち主でCDや書籍まで出版され、いろいろな分野で活躍されているアンミカさんの益々のご活躍を期待しています。
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